ぼくらの一橋戦争

私大付属校から外部受験をしようとする高校2年生のありのままの記録

20.12.04(金) もう一つの欲求

  以前「面白いもの」が私の欲求を満たす唯一のもの、と書いたと思いますが、もう一つありました。死にたいという欲求です。人生うまくいきません。これまでの学校生活で自分の思い通りになったことは何でしょうか。1年の時、時間は私のものではありませんでした。その時間を私は獲得しても、結局私は時間を、自分の人生をほしいままにすることができませんでした。

 私の意志が弱いからかもしれません。けれども、その原因は私は私の主体的な要因ではなく、全て環境の要因であると思っています。文字通り、環境のせいだと思っているのです。

 意志が弱いのは性格です。社会的な意識が薄いのも、努力の経験ができたかも、成功経験の有無も、全ては環境によって根本的に左右されます。全ては環境によって引き起こされるのです。

 しかし、環境を憎んでいてもしょうがありません。あくまでロジックとしては環境のせいだとしても、そのうえでどう生きるかを輪t士たちは選択しなければなりません。環境は平等ではありません。視野を広げると不条理だって蔓延っているように感じます。それでも、私たちはその環境の悪い部分に呑まれず、良い部分を利用して、自分の欲求を満たしていかなければなりません。

 本当にそうでしょうか。死ねば終わるのではないのですか。

 私は特に宗教を信仰していないので、死後の世界の具体的なイメージを持っていません。死ねば世界は終わると思っています。だから私は、死にたいと思うことがあります。

 最近は特にそうです。テストがあったからというのも大きいですが、親に「無理だ」と言われて以来、死ねばいいんだと思って何も手につかないような、だるさというか無力感に閉じ込められました。その時間勉強していれば良かった、と思うのですが全ては環境のせいですから、別にそれが悪いことだったとは思いません。全ては環境のせいですから。

 ではなぜ死にたいと思うかというと、その原因こそが先ほどの「環境」なのです。自分が生まれた環境。自分が育った環境。それらの認めたくない過去を消すために私は死にたいと思うのです。過去をリセットすれば、満足できる。面白いものではありません。しかし、過去をリセットしたい、という欲求は私の心理の大きな部分を占めています。

 しかし矛盾があります。私は現に生きているからです。「死にたい」と言っている時点で矛盾があります。死ぬのが怖いのです。この世に未練があるのです。この、相反する欲求も満たしたい。そうなると、自殺を思いとどまるのが今の私です。

 では、「必要な欲求をバランスよく満たす」の原則に当てはめて、私はどうするべきか。生きながら過去をリセットすればいいのではないでしょうか。

 これまでの過去の過ちや不遇が関係なくなる未来を作るために、今、それにたることをすればいいのです。こうすれば、「死にたい(リセットしたい)という欲求」と「面白いものを求める(未練たらたらな)欲求」の2つの必要な欲求を理論上は満たすことができます。

 

 生きている間はずっと、小さな成功や努力を繰り返さなければなりません。いい会社に就職したり言い合い額に受かれば万事オッケーというものではないのではないでしょうか。日々取り組むことが次の日の取り組みにつながって、いづれ、自分の過去とほとんど似ていない環境が手に入っているかもしれません。この「リセットしたい」という欲求は、もっと平たく言えば「変わりたいという欲求」なのです。

 頑張れば、いつかはこれまでの過去をリセットできる。名残惜しさはありますが、名残惜しいものはもったまま、死にたいと思う原因をリセットしていくようにすれば、あとは「面白いものへの欲求」を満たすだけ、それに満たされるだけになるのではないでしょうか。

 過去は変えられない。それでも―、生きながらリセットはできる。これに気づけたから、今日からはきっと大丈夫…と思いたいです。

 

 ただ一番は死ぬか生きるかなんて考えないことだと思うんですよ。死ぬか生きるかなんて考えないで、苦しいことに生きる前提で向き合っていった方がいいんでしょうよ。先に書いた通り、死にたいって言ってる時点では生きているのですから、生きてる限りは生きる前提で考えるべきなのでしょうね。死ねばすべて終わるのですから。何でこの世界が在るのかわからないけど、この私の精神世界は、誰のものかは知らないが、確かに、絶対にあるのですから。

 

 人生をリセットしよう!生きる前提で考えよう!