ぼくらの一橋戦争

私大付属校から外部受験をしようとする高校2年生のありのままの記録

20.12.03(木) 暗記≒理解=説明=創造

 やっぱり学校生活の記録は別のものに記録することにします。生々しく残そうとすると自他のプライバシーを公開してしまいそうなので。

 

 果たして、暗記に意味があるのでしょうか。なんだか意味はないような気がします。意味のない暗記をしている人が悪いのかもしれませんが、暗記の質を問えないテストもなかなか微妙です。

 ただ、特に勉強は(なんだって勉強ですが)やればできるようになります。問題にするべきは「やるかやらないか」です。欲求に優先順位をつけようとしたときに、何をやるかやらないかを選択しなくてはなりません。この時、どちらを選ぶかです。

 別に勉強する事を選ぶのが正しいとは思いません。勉強するを選ぶと同時に、別の道を諦めているからです。

 ただ、私にとって勉強とは世界の理解であり、再現であり、創造なのです。

 これについては説明が必要かもしれませんが、今日までに書いた理論で簡単にこのつながりを言い表すことができます。

 勉強とはこの世界にあるものを理解することです。では理解するとは何かというと、自分の言葉でそれを言い表せられるようになるということです。自分の言葉でその意味を言い表せるようになって初めて、言葉によって成り立つ構造的な自分の精神世界に、その事象を迎え入れることができます。(ソシュールの言語論的なイメージをお願いします。)

 だから、理解するということは、同時にすでにある学んでいる対象の存在を、自分の中で言葉で再現することと同じことなのです。

 さらに、例えば楽器の練習などでは、その理解した言葉と自分の現状を言い表した言葉を見つけて、その間の橋を渡す役割を持つ言葉(=解決策)を作れば、体でも理解することができます。

 帰ると勉強できない。テレビを見てしまう。しかし部屋で勉強したい。この場合の解決策は、家に帰ってから部屋の椅子に30分拘束する、なんていいんじゃないでしょうか。

 そして、そのような理解と再現は「創造」でもあります。創造とは今までに自分の人生で得たものを組み合わせて新しいものを生み出すことを言います。この創造という言葉を広い意味でとらえてほしいのですが、勉強の対象を自分に説明するために、既知の言葉を組み合わせて新しい言葉、文章を作るわけです。だから、これは創造だということができるのはないでしょうか。

 あくまでテストで求められているのは「理解ができているか」ですし、「理解」が暗記の「特急券」になっていることはおそらく知られていることでしょう。最終的には覚えていればいいのですが、そのゴールより先までできるようにしておく、つまり、ただ暗記するだけでなく、できるだけ何となく感覚として説明できるようにしておくと、余裕をもって暗記できるでしょう。

 もっとも、暗記してその言葉をはっきりと自分の世界に取り入れていなければ理解も何もないのだから、根性で暗記すればいいだけなのかもしれませんけど。でも理解も一緒にするようにしましょうよ。そうした方がより暗記が長く続きますし。たぶん。

 でも、効率を考えて丸暗記した方がいいことは、本質とかけ離れても割り切って暗記しちゃいますよ私は。

 

 結論、勉強や暗記はクリエイティブば仕事でない感じがしますが、私は勉強で人に認められたいという欲求と新しいことを知り続けて創作活動に役立てたい、と思うので勉強頑張ります。