ぼくらの一橋戦争

私大付属校から外部受験をしようとする高校2年生のありのままの記録

20.12.02(水) 知的アクティブモード

 以前ためしてガッテンで面白い実験が紹介されました。ある超有名実力派ラッパーに、両手を逆のわきの下に挟んで即興ラップを披露するように指示すると、そうしない時と比べて格段にラップの韻の数が減り、本人も調子が出ないことをはっきりと言っていました。

 考える、というと椅子にじっと座って顎に肘をついて下を向く国立西洋美術館なイメージがありますが、実は手を動かしながらのほうが言葉は出てくる、ということをこの実験は証明しています。

 番組の趣旨としては、リモート会議では「目線を合わせるこ」や「うなづき」、「ジェスチャー」が減るため、会議に熱が入らないというものでした。

 ガッテン! 2020/11/11(水)19:30 の放送内容 ページ1 | TVでた蔵

 これは誰かと会話する時の話ですが、一人で考えるときにも同じことが言えるのではないでしょうか。手先だけを動かすのではなく、腕から動かして勉強したり、自分で自分の説明にうなづいたりすることでさらに理解が深まるのではないでしょうか。

 ここで言う理解とは、いつか言ったように「人に説明できるレベルの自分の言葉を見つけられた状態」のことを言います。常に誰かに説明できる状態を目指して理解を進めることで、何も考えずに本の言葉だけで考えようどうする時よりも断然理解度が違う。私はそんな気がしています。

 

 

 さて、このことを確認したかったのですが、それよりも今日は「知的アクティブモード」に入る方法について書きたいと思います。

 「知的アクティブモード」とは、世界を理解(=それを誰かに説明できるレベルの自分の言葉を見つける)したり、表現(=理解とほぼ同義になる?)したりしようとしている状態です。逆に言えば、自分の言葉を完全に探そうとしていない状態は、モヤモヤのなか、とでも言いましょうか。

 この「モヤモヤ」は私は大切なものだと思いますが、このモヤモヤを無くそうと「知的アクティブモード」に入らなければ前進は比較的小さいわけです。それに、この「モヤモヤ」は自分の言葉を探してどんどん物を理解していっても、無くなることはないのではないのでしょうか。何かがわかると、またわからないものが出てくる。きっと人生それの連続ですし(悟り)、それを連続した回数が多い人ほどより広く深い世界の理解者となり、表現者となりうるのではないのでしょうか。

 

 では、この「アクティブモード」に入るにはどうするのか。

 1つのアイデアとして、全ての行動を人に説明できるくらい意識的にする、ということがあります。人に説明するくらいの意識を持てば、自然と脳が活性化するような気がします。例えば二度寝しようとしているとき、このまま感覚に任せて寝てしまいそうなとき、その感覚を言葉に残そうとしてみます。するとなぜか目が覚める、なんてことはないでしょうかね。

 他にもありますが、昨日書いた内容とやや重複します。「リズムよく力を入れる」「体の調子を整える」「やることを明確にして、やるべき順にやっていく」というような感じです。4つ目のアイデアを気づいたのですが忘れました。

 環境は平等ではありませんから、厳しい環境にあっても、「それでも」と言ってこのアクティブモードに移ろうとする人間になりたいし、そんな人が美しいと思います。

 ちなみにこの「それでも」という言葉に私は強い意志と物語を感じます。だから私の好きな、使いたい言葉でもあるので、これから何か決断について書くときに使うと思います。

 

 

 明日からは学校での出来事も少し書き留めようと思います。そういうことも、多少は書き留めておきたいですし。