ぼくらの一橋戦争

私大付属校から外部受験をしようとする高校2年生のありのままの記録

20.12.01(火) 「面白い!」生活の秘訣/面白い=物語

 まず、どうすれば「面白い!」ものに気づけるか、ということですが、これは自分の欲求を満たすために「知らない事に挑戦する」ことで、面白いものに出会えるのだと私は思っています。あることから逃げるメリットは「楽なこと」と、「ほかのことに挑戦するチャンスを生むこと」と「逃げるつらさがわかること」です。一方、欲求を満たすためにあることに挑戦することのメリットは「面白いもの(と、それと対立する面白くないもの)を知れること」です。逃げることにもメリットはあるので、逃げても全然いいと思います。しかし、では何かに挑戦しないと「面白いものを知ること」はできません。私の欲求は「面白いもの」と「面白さと対立するつらさ」を知ることですから、何かに挑戦することは必須です。

 では、何かから逃げずに挑戦するために、実践的なコツを書き留めておきます。

 1つ目は「リズムよく力を入れる」です。筋トレもずっと同じ力を入れているわけではありません。もちろん常に筋肉を緊張させているわけですが、それにはリズムがあります。生活でも同じで、リズムよく力を入れるべきタイミングがあります。例えば起床する時。1日に1回しか起床しませんが、毎日同じことをほぼ同じ時間にするので、「リズムよく」起床するわけです。毎日起きるその瞬間にグッと力を入れると起きやすくなります。「この一瞬は力を入れるぞ!」という意識があるとだいぶ違います。そして何より、何か作業を始めるときです。やりたいんことで慣れていれば(私の場合は自分の文章を書くこと)すっと作業に入れるわけですが、勉強となるとそうはいきません。そこで、勉強しようというときにグッと力を入れると、自然と体が動いて勉強し始め、そして途中からやる気スイッチが入る、というわけです。やりはじめてからやる気っていうのは出てくるわけでしょう。

 2つ目は1つ目と関連しますが、体の調子を整えるということです。私は

朝にごく軽いランニング・瞑想・ビジョントレーニン

夕方に仮眠・夕食前に筋トレ

夜にストレッチ・瞑想

をするようにしています(多分)。やはり生活力です。1つ目のリズムよく入れる「力」をつけることができます。

 3つ目は、当たり前ですが、やることを明確にして、やるべき順にやっていくということです。全部やった方がいいに決まってますが、時間が遅く流れたり複数の仕事をこの瞬間に同時に進めることはできません。ですので、私たちは今どうするか、解を一通りに定めなくてはならないのです。と言いますか、いやでも何もしなくても1通りの解が決まってしまうのですが。この現実世界の私が生きる物語を面白くするために、今の自分と差異がややあることにも挑戦します。

 

 話題は変わって、「物語とはなにか」についてです。物語とは変化の記録や伝達です。では物語は何から生まれるかというと、それは脈絡がないところからです。そこの脈絡を補うために、人々は物語を想像するわけです。つまり、そこに文脈がない、そこに何もないところから物語は始まるわけです。では、物語はいつ終わるのか、ということですが、私はすべての物語は終わらないのではないかと感覚的には思います。ただそれを今はちゃんと説明できません。すいません。

 この「物語」の話を一度置いておいて、「面白さ」の話に戻します。「面白さ」とは差異と共感の両輪で成り立ちます。ペコパがいい例ですが、「ここを否定するという予想」を観客とペコパは共有していますが、それを松陰寺が「観客が想像していなかった視点から肯定する」ことで、観客との共感から差異を生み出しています。だから面白い(と私は思っている)のです。

 私(たち)はこの「面白さ」を求めるわけです。面白さとは、差異と共感からなります。この差異と共感を生み出す過程はすべて「物語」ということはできないでしょうか。

 私たちは醒めているときは意外と「次のこと」を考えています。その予想に対して、どんなことが起こるのか。予想と同じようなものだったら「共感」できますし、少し予想とそれていたらそこに「差異」が生まれるわけです。全く予想できなければ差異の連続になりますが、この差異も言われてみればわかる、というように共感できる差異であれば、面白いと感じられます。この場合の「次のこと」が起こる、私たちの精神が注目する対象は「変化するもの」なわけです。変化するものということは、変化を持っているわけですから、これは物語です。

 私たちは物語の次の展開を無意識かもしれませんが予想していて、その物語とかかわっているうちに単純な共感(まあ、そらそうだわ)だけでなく、(あ、そうなんだ)という差異を発見した時に「面白い」と思うのではないでしょうか。

 ならば、「面白いものを求める欲求」と「物語を求める欲求」は同じものだということができるのではないでしょうか。

 こじつけがましいところがあるような気がしますが、私が欲しかった結論にはたどり着いたので、今日は良しとします。