ぼくらの一橋戦争

私大付属校から外部受験をしようとする高校2年生のありのままの記録

20.11.29(日) 理解と思考、形と意味

 模試の成績、まあまあ良かったです、かね。強化によってかなりばらついてますが。校内で5本の指に入るスコアを取った教科もありましたし。意図していませんでしたが友達に知られました。まあ、望むところですが。

 「構造の形」が大事。「形」を覚えるのが勉強だとすら思います。法則や公式を覚えればうまくいくように受験教育というのはできているはずです。思考力判断力というのはおそらくその先の話で、生み出すことよりも受け入れることが今の勉強には必要です。では勉強で「考える」ということをしないのか、と聞かれると、正直分かりません。考えるということをするような気もするけれども、でも法則とか構造の形をとらえられれば完成してしまうような。ここのジレンマは解決したいですね。

 ただ、「理解する」ということは最近分かったような気がしました。「理解する」とは、自分の言葉で説明できるようになることです。説明するつもりで理解して、暗記として反復してリフレインする時も、説明するつもりでする。「人に教える勉強法」なんてネーミングで昔テストの花道で取り上げられていましたが、一勉強法などではなく、これをしないとどの分野の勉強も理解できない!くらい、私は大切なもののような気がします。

 いかに新しい知識を自分の既知の言葉で解きほぐし、位置づけ、「開いていく」か。もしかしたら、その形と意味を自分の(言葉の)世界に編入していく作業を、自分になかった知見を自分に与えるために生み出す、という意味で「考え出す」と呼ぶことができるかもしれません。

 でも、「考える」って、自分の知っているものを組み合わせて、新しいものを自分の脳内に生み出す作業、という風にもっと簡単に、抽象的に定義したいような…。ほぼ同義ですかね。時々、考えるとは何かを考えてみたいと思います。←ん、あれ?

 考えるって、精神世界で何かを生み出そうとすることなのかな。

 だとしたら、「考える」の中に「理解する」があるということになる、のでしょうかね。いや、受動的なのが「理解する」で能動的なが「考える」?でも能動的に自分に分からせるために説明すること(=理解すること)は能動的な動作のような。

 とりあえず、今日はこの二つはほぼ同義ってことにしておきます。

 どうせ苦しいし、どうせすぐ終わるんだから、「面白い!」がある方に行こう!(戒め)